- 不可思議探訪, 香港

九龍城の面影を求めて ― 無法地帯と呼ばれた九龍城砦の痕跡を尋ねる

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Sakurai Yuya

Sakurai Yuya

冒険家/株式会社ギズ代表/Taznel編集長/奇妙な場所を好む/ゲームクリエイター/世界遺産検定1級/ITから人文科学まで造詣が深いがどこに着地しようとしているのか本人にもわからない/【ついでのように】元ミュージシャン【忘れてた】

東洋の無法地帯・九龍城

その場所はかつて様々な異名を付けられていた。「東洋の魔窟」「アジアンカオスの象徴」「香港一のスラム」「一度足を踏み入れたら二度と出てこられない場所」「無法地帯」etc…
無法地帯というのは決して比喩では無い。本当に法の及ばない場所だったのだ。かつての宗主国イギリスも、飛び地として保有していたはずの中国も関知せず、どこの法治下にも属さない特殊な場所、九龍城。
香港・九龍半島。百万ドルの夜景と言われるヴィクトリア湾から少し内陸に入った辺りにそれはあった。

増築に増築を重ね、ありとあらゆる違法建築の粋を結集して作られたかのようなその建物(尤も、無法地帯に違法なんて当てはまらない気もするが)には5万人もの人々が住み、恐ろしいほどの人口密度だったという。

在りし日の九龍城 By: 準建築人手札網站 Forgemind ArchiMedia

全てが過去形になってしまうのは、そこがもう存在しないからだ。
その場所に行ったとしても、九龍城は、あのカオスはもう存在していない。…しかし、本当に綺麗さっぱりと無くなってしまったのだろうか。ネット上を探せばその跡地がどうなっているかなんて簡単にわかるのだが、わかった上で訪ねて来た。在りし日の面影を求めに。

某日、九龍半島にて

幸いにも、雨の予報ははずれた。その日は午後の帰国便に乗らなくてはいけないため早朝に起きた。カーテンを開けると眼下にはヴィクトリア湾が広がっている。フロントでアップグレードの提案を受け入れて正解だと思った(サービスでアップグレードしてくれていたらもっと良かったのだが)。
レイトアウトの時間を確認すると、一眼レフだけ持って外に出た。

朝の光を反射する湾に沿って、ジョギングする人達とすれ違う。余談だが香港の平均寿命は世界一らしい。さもありなん、と思いながら駅を目指した。
狭い香港にあって巨大な香港理工大学を横目に紅磡駅で東鉄線に乗る。九龍塘駅で観塘線に乗り換え楽富駅で降りる。尖沙咀からそれほど時間はかからなかった。

最寄りである楽富駅からはなだらかな坂がずっと続いている。じわりと滲む汗を連れながら坂を下り十数分ほど歩くと目的地が見えてきた。
信号の向こう側の一帯。それがかつての九龍城だ。

そう、ご覧の通り今は公園になっている。長閑にも程がある。ここも散歩やジョギングをする人々がなんてことのない日常の風景を作っている。
私はスマートフォンに集めた自慢のコレクションであるかつての九龍城の画像をスワイプしながら不思議な感覚に陥った。画面と公園を交互に見遣り、一人ごちる。
本当に「ここ」は「ここ」なのか。

しばし歩くと、こんな案内を見つけた。

九龍塞城は、こっちだ。わざとひびを入れた漢字は一体何を暗示しているのだろう。矢印の方向へ早足で向かう。矢印の方向というかもはや矢の方向だ。
あのカオスな建物は本当は存在しているのかもしれない。あれはもう無くなったとアナウンスすることで誰にも関与されないこの世の特異点になったのだ。そんなありもしない妄想に取り付かれながら歩みを速める。

目の前に現れたものは、壁と古い門だった。

「九龍塞城」、「西門」とある。
その奥に、カオスな建物はもちろん無かった。

周りをぐるりと歩いてみる。違う門だ。

僅かに城塞の跡と思われる石積みが残っている。これらはあえて残されたものだろう。

公園内は、なんというかもう、普通に(香港にとって果たして「普通に」というのが適当なのか一瞬逡巡した上で)中国風庭園といった趣だった。


午前の穏やかな雰囲気の中で、太極拳をする人々が見受けられる。

どうやらこのような配置になっているようだ。

公園というよりは庭園といったところだろうか。

しばし公園内を歩いていると石垣で囲まれた一角に建物の基礎のようなものが残されているのが目に入った。
南門回顧、とある。九龍寨城の南門跡だ。

かつてここは軍事要塞だった。その時の名残だ。違法建築が膨れ上がり巨大建造物になったことを城になぞらえ九龍城と呼ばれていたわけではない。勿論そういった側面もあっただろうが、この場所が城と呼ばれていた本質はここにある。本当に、城塞だったのだ。

大砲や往時の写真も展示されていた。

冒頭でも述べたが、ここはイギリスに割譲された香港の中にあって、清のいわゆる飛び地だった。しかし清の滅亡と共にこの場所の主権は宙に浮き、以来無法地帯と化した。
では私が求めてきた、カオスを具現化したような建物の痕跡はもうここには一切無くなってしまったのだろうか。

否。こんなオブジェクトが残されていた。

近付いて上から横からまじまじと眺めてしまった。ひとりはしゃぐ日本人。

そしてこんな内部構造をわかりやすく絵にした断面図まであった。なんと親切な。


てっきり、香港(並びに中国)はここを黒歴史扱いしているのかと思っていた。しかしどうだろう、ある意味ノリノリでモニュメント作っている。すごいのあったよね、ここ、みたいな。まんざらでもないのか、香港よ。

なにやらコスプレの撮影をしている人達も居た。

明らかに日本のキャラクタアである。
そしてポケモンGOに興じている若者もいる。ここで?と思ったが自分もアプリを立ち上げてみると見事に九龍城の模型がポケストップになっていた。
アジアンカオスの象徴として80年台以降の日本のサブカルに少なからぬ影響を与えたあの九龍城では今、なんと、巡り巡って日本のサブカルが幅を利かせている。

公園の端まで来て外に出ると、東正門とあった。こちらが正規の入口だったか。

正門と、近隣の高層建築。

九龍城の無法地帯である巨大迷宮建築に暮らしていた貧しい人々は、あそこに見える高層ビルのような場所に移ったのだろうか。いや、そんなことは無いだろう。安住の地を求めてここの住民は散り散りになったとも、似た様な環境の重慶大厦(チョンキンマンション)に移ったとも言われている。かつての住民はあの鈍色のオブジェを見に来ていたりするのだろうか。真相はわからない。

帰りのフライトの時間を思い出して公園を後にした。楽富駅までは来た時と逆で上り坂だ。Tシャツに滲んだ汗を見ながら、やはりタクシーにすべきだったろうか?なんてことを思ったりもした。

かつての異名、「東洋の魔窟」という言葉を思い出す。本当にそうだったのだろうか。少なくとも、住んでいたのは魔物なんかではなくて普通の人間だろう。実は自治もしっかりされていたそうだ。
噂話には尾ひれがつくなんていうのは日常茶飯事だ。海外だろうと、日本だろうと、ね。

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